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Mikirsas's room

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2016年02月20日(土)

ひとりごと ~ 自分がたり・その4
春告花である、梅が咲いていました。春はもうすぐですね。2016/02/18 撮影。
[ 春告花である、梅が咲いていました。春はもうすぐですね。2016/02/18 撮影。]

梅の花を見ると、なんとなく気分が上向きになってくる、みきらすですこんにちわ。
寒い寒い寒いっ季節が終わって、やっとあったかい季節が廻ってくるんだなぁという期待感。いろんな花が咲き始めますしね。
さて。長々と自分がたりをして、みきらすさん的にすっきりしました。この8ヶ月間にいろいろ溜まっていたものを吐き出せました^^ 言い足りない部分もある気がするけど、とりあえずはこの辺で。今回は「その4」だから書くけどね。
だけども、見出しに「自分がたり」って書いてなくても、みきらすのへやはそもそもがじぶんがたりしかないのでわ(おや?。

ぐちぐちと書きましたが、ほんとはね、自分のことだけだったらね、そうでもないんですよね。
自分のことだけだったら。何かしら問題点がある → 解決方法、対処方法が何かないか調べる → それは実行可能かどうか考える → できそうと判断すれば時間がかかってもやってみる or 無理そうなら他の方法を考える、もしくは問題点を見なかったことにする(爆 …というような感じで、自分なりに考えて決めて行動してみることができる。
だけどね、娘はね、自分じゃないからね、もごもご。自分のことなら、自分で判断して書くか書かないか決められるけど、娘のことはね、あんまし詳しくは書けません。だけどね、ぐだぐだ。
第三者から見てわかることでも、結局は本人が気づかないと意味がない。こちらが口酸っぱく言ってみても、心の奥底までは届かない。しつこく言えば言うほど娘の心は閉じていく。だからといって何も言わないわけにもいかない。その辺がね…。じれったいというかね。
子育ては、子どもを信じて「待つ力」が大事だとよく聞きますが、私は人間ができてなくてね。ついついね。
しかも娘は高校生。言葉で説明すれば理解できるだろうと期待しちゃうんですよね。でも、言葉で通じるのはそもそも相手側にもそれに対する予備知識や準備などがあることが前提で。それは別に子育てに限ったことではなく。
河合隼雄さんが、何かの本の中で「何もしないことに全力を尽くす」ってことを書いてたのを思い出しました。昔は「へぇ(他人事)。」って感じで読んだわけですが、実際これってすごい精神力がいるよ。めっちゃむずかしいわ…。

大前提として、私と娘は親子だけど違う人間だってことがあり。
考え方もやり方もできることもできないことも違うんですよね。そりゃ親ですから、たぶん、今世の中にいる誰よりも娘のことを知ってるだろうと思うわけです。ただし、そう思うこと自体がただの傲慢の可能性もある。
だったらああだろう、こうだろう…といろんな考えが巡るのです。言い方やタイミングを変えて説明するわけです。でも届かない。もしくは「わからない。」という言葉が返ってくる。
どの辺がわからないのかと畳みかけたくなるんですよね。私だったら、どこが「わからない」のかを考えて、「わからない」箇所を潰していくという方法をとりがちなので。でも、これも人によってやり方が違うんでしょうね。
ちなみに、なんでもわかるってことがないことくらいは理解してます。自分の場合は、いろいろ考えてわからないことはとりあえず棚上げすることにしてます。無理やり答えは出さない。無理やり答えを出すとね、何か「歪む」んだよね。
…書きながら気づいたけど、私の場合はある意味で「自分」がありすぎるんですね。娘からしたらきっと息苦しいよね。気をつけよう。

そういや、「やり方は人によって違う」というのをある意味で教えてくれたのは妹でした。
私はとにかく理屈から入る。無駄に小難しく考える。だけど妹は感覚でぱっとわかる、もしくはとにかくやってみる。私の場合は自分なりの考えが必ず入る、納得してからやってみる。そして、日常生活でスムーズにいろいろと「できる」のは妹の方。
理屈や理論が正しくても、実際の日常生活の上では意味なんてあんましないんですよね。考えようと考えまいと、ちゃんとできればそれでいいんですよね。特に家族のことや子育てに関しては。理論が大事になるのは学問上、もしくはビジネス上だけ。
妹にはよく「おねえちゃんはむずかしく考えすぎ。」と言われました。はい、確かにそうです。昔はそんな妹が羨ましくもありました。だけど、私には私のやり方しかできない。やり方ってそうそう変えられないのです。ということで、今も小難しく考える日々を送っています。
ただ、こういうことに気づかせてくれた妹には感謝なのです。きょうだいがいることの意味って、こういうところにあるのかもしれませんね。

そういうことを思い出し、心に刻み直し、娘のやり方に口出しせず、かといって放置するわけでもなく、「何もしないことに全力を尽くす」方向でがんばってみることにします。…できるかな?(汗。


2016年02月17日(水)

ひとりごと ~ 自分がたり・その3

前回、夢の話しを書きました。
ということで、自分の夢についてつらつらと。まぁ今までも何度も書いていることかもしれませんがまぁ。
私の夢の特徴は、色がある、夢の中でも五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)がある、内容をよく覚えている、夢の中で夢の内容をある程度コントロールできる…という感じなので、リアルと夢の中の状況はさほど変わりはないです。ただ、夢の中の景色の方がリアルよりもきれいなことが多いですが。ファンタジー的な夢が多いので、空を飛んだりすることも多いですね。
あと、夢を見る回数も多いかもです。最低でも1日1回は見ます。多いときは1日3~4回くらいは見てるかも。…夢も見ず朝までぐっすり熟睡するのが夢かもしれない(爆。

夢の中で夢の内容をコントロールできる夢というのは、「明晰夢(めいせきむ)」というそうですね。最近知りました。
正確には「自分で夢であると自覚しながら見ている夢」のことらしいです。夢の内容をコントロールするのは難しいかもだけど、夢の中でこれは夢だと自覚するくらいのことなら、普通によくあることじゃないの?
試しに「明晰夢」でぐぐってみると、明晰夢を見る方法的なページがたくさんヒットしました。…見る方法って? わざわざ見たいの?
私自身は、明晰夢といえるような夢をちょこちょこ見ます。別に見ようと思って見ているわけではないですけどね、勝手に見る。そういや、「明晰夢を見よう」とか「見たい」と思ったことはなかった。
便利かなぁと思うのは、悪夢系の夢を見てるときですかね。殺されそうになったり、イヤな人に捕まりそうになったときに、自分の意思で目を覚ますことができるのはいいかもとは思います。私の場合は、「これは夢だから目を覚まそう」と思ってから、夢の中で目をつぶって頭や目に力を入れるイメージで目を覚ますことができます。
悪夢は強制的に終わらせることが多いし、これは夢だからと自分の良い方にイメージすればいいだけなので、全体的に楽しい夢、きれいな夢が多いです。
ゲームをしてる影響か、夢の中で化け物と戦闘するような夢をときどきみるんですが、「武器出てこいっ!」ってイメージしても、木切れしか出てこない…ってこともありますね。「じゃあ、魔法だっ!炎の玉だっ!」ってイメージしても、何も出てこないとか…。形勢不利になったら、強制的に目を覚まします。自由自在にコントロールするのは難しいです(汗。

明晰夢でぐぐってたら幽体離脱って言葉をちょいちょいみかけたけど、あれはだめですよ。
幽体離脱的な夢を見ると目が覚めたとき、その日1日頭がぼーっとしてしまうくらい疲れてます。ただ、幽体離脱に関しては自分自身、幽体離脱した夢を見てたってくらいの感覚ですけどね。でも疲れるんよ。ほんとに。ついでに金縛りも疲れます。このふたつは疲れるので嫌いです。若いときはよくあったけど、最近はまったくないのでほっとしてます。

最近見た夢で印象的だったのは、夢の中に出てきた本の内容をなんとか書き写して現実に持っていける方法はないかと、夢の中でうんうん悩んでいた夢ですかね。部分的には覚えられるけど、全部は覚えられないわけで。
夢の中で本の内容を必死に書き写すわけですよ。でも現実に持っていく方法がない。このまま夢から覚めたら勿体ない。でももうそろそろ目が覚めてしまう、うーん…って感じで。無駄な努力をしている的な夢でしたね。
誰か、夢の中の映像をリアルに映し出せる装置を発明してください(切望。

そういや、難儀なのは夢の中で感じる感情ですかね。
ちょっと前に過去のできごとに関する夢を見たんですが、楽しかった出来事だったり普通に過ごしているだけの夢だったのに、夢から覚めるときには泣きそうな気分になってました。何故か「せつない」という感情に支配されていたのです。こういう場合は、その感情をしばらく引きずります。
この夢の内容を自己診断するとすれば、自分が捨ててきたものに対して今でも未練みたいなものを持っているんだと思います。
現実では無意識の中に封印してるから、夢の中に零れ落ちてくるしかなかったんでしょうね。何かを手に入れたってことは、何かを捨ててきたってことなので、仕方のないことです。後悔はしてないけど、感情処理が上手くいってない状態なんだろうなと。
夢を見ることで自分の感情を自覚してしまったので、時間をかけて少しずつ感情処理していくことにします。でももう戻れないよ。戻る気もないけどね。


2016年02月15日(月)

ひとりごと ~ 自分がたり・その2

私は子どもの頃から心理テストが好きで、気が向いたときにやったりしてます。
たぶん、これも自分探しの一環だったんだと思います。今は…娯楽? 最近はネットにいっぱい転がっているので気軽に楽しめるのが良いですね。
それで今日やってみたのは、寂しさ診断。前回の日記に「さみしい」って感情のことを書いたのでなんとなく。
結果、『寂しさに強い「孤独上等」タイプ』でした。まぁそんなかんじでしょうね。
診断の文章の中に「死んだら葬式を出して貰える程度の人付き合いは必要です。」と書かれていました。「ぶぶっ!(笑」って感じで大笑いしてしまいました。とりあえず、私の葬式は子どもに期待しときます。

さて。前回の日記に自分はADDだと書きました。
さらっと書きました(つもり)が、自分にとっては大きなカミングアウトでした。ただ、自分がADDとわかったからといって、ショック受けたかと言うとそうでもなくて、どちらかというとほっとした部分の方が大きかったです。いろいろと腑に落ちた部分が多かったので。
現在、薬を処方してもらっています。コンサータという薬です。最近飲み始めました。副作用がいろいろあるみたいなので不安でしたが、今のところは特に副作用的なものが出ていることはなく。
効果の方はと言うと、常時眠い感じがしてた(いきなり居眠りしてしまうほどのレベルではない)のが、頭がすっきりするようになった…ってくらいですかね。ただし、いつもではないけど薬が切れた頃に急激に眠くなることがあるのがちょっと困りもの。
ちなみに娘がいうには、よくしゃべるようになった、しゃべるスピードが早くなった…とのこと。がーん。もともとは早口だったんですが、そんな自分がイヤだったので、意識してある程度は自然にゆっくりとしゃべれるようになってたのに。早口に関しては、再度気をつけねば。

ADDとして考えると、腑に落ちた部分。
子どもの頃はとにかく忘れ物が多かった。物を無くすことも多かった。 → 財布、鍵、携帯のような出掛ける際に必ず必要になるものは、いつも同じ場所に置くということで(ほぼ)解決している。
やかんなどを火にかけると、あっという間にそのことを忘れてしまう → キッチンタイマーを鳴らすことで解決している。
やらなきゃいけないことなどを忘れてしまうのでメモをする → そのメモを無くしがち → システム手帳になんでも書き込む(システム手帳の定位置も決めている)。…など。
大人になるうちに、少しずつ解決策を考えて対処してきたけど、それらの特徴がすべてADDの特徴なんですよね…。
物事を先延ばしにしてしまう傾向は対処できていない。あと、眠りの質の悪さもね。無駄にロングスリーパーだ。
熟睡できないんですよね。だから1日に何度も夢をみたりする。それをいちいち覚えてる…。あまりに夢をたくさんみるからか、夢の中で夢の内容をある程度コントロールできる技を身に付けてしまった(爆。

ADDというのは、「ドーパミン」不足が原因と言われているそうで。
ということで、どうやったらドーパミンを増やすことができるのかというのを調べてみました。
「小さな目標を立てて達成する。」「綺麗なものや人を見る。」「コーヒーを飲む(適度なカフェインの摂取)。」「食物でアミノ酸を摂取する。またビタミン類も摂る。」「運動をする。」「よく笑う。」…などというようなことが書かれていました。無意識にやってたことが多いですね。…運動はやってない(汗。
今までどう対処していいかわからなかったことが、ADDとわかったことで対処方法がわかってきたことは大きな収穫かなと思います。


2016年02月13日(土)

ひとりごと ~ 自分がたり・その1

私は、どうも自分は(周りの人と比べて)「変わってる」という意識が中学生の頃からありました。
その「変わってる」がどこからくるのかがわからない。何が「変わってる」のかもわからない。ただの中二病的な感覚だったのかもしれない。
この頃から、今でいう「自分探し」のために、占いの本、心理学の本、哲学の本などをよくわからないのに読んでいました。とにかく自分を識りたかった。その手がかりが欲しかった。
結論から書くと、その「変わってる」がどこからくるのかが、最近になってやっとわかりました。ADDだったのです。ADD … ADHD(注意欠陥・多動性障害)の多動がない状態。私の場合は不注意が優勢。
要するに、発達障害だったのです。そらどこかしら「変わってる」よなぁというオチで。
何故わかったかというと、娘の通院で病院の先生と話しているうちに。あとは、ここ近年発達障害が注目されてきてそれらの知識を得る機会が増えたので。…自分の中学生の頃って30年以上前だしその頃には「発達障害」なんて言葉なかったもんなぁ。

自分自身、人と違う、「変わってる」という意識がどこかにあったので、未だに目立つということが嫌いです。
目立ちたくないを超えて、世の中のすべての人から忘れられたい、切り離されたいと思うときもあります。…ちょっと違うな。正確には、自分の都合のよいときだけ人と繋がってそれ以外は遮断したい…というエゴまるだしの思考に取りつかれるときがある…ですかね。
人と揉めるとか上手くいかないとかそういうのは特にはないんですが、人と会うと疲れるんですよね。例外な人は、子どもかパートナー的な人(彼氏、夫、かなり親しい友人など)。
ほんとにね、世の中にイヤな人なんてほとんどいないんですよ? 悪意の高い人にあった記憶なんてないんですよ? イヤなことをされたとか騙されたという記憶もない。気づいてないだけかもしれんけど。それなのに、人と会うとほんとにすごい疲れる。人と会ってるそのときは楽しくわいわいしゃべるけど、家に帰ってくるとどっと疲れがでる。今も昔も変わらない。なので、かなり閉じた人間関係を好む傾向があります。心理学用語でいうとペルソナがね、たぶん相当薄いんでしょうね。

心理学というと、私は以前河合隼雄さんの本を好んでよく読んでました。
20代前半の頃、本屋さんでたまたま見かけた本をぱらぱらっとめくってみたら「人の心などわかるはずがない」という文字が目に入りました。つらつら読んでみるとなんとなく腑に落ちて、その本を買って帰りました。そのときの本のタイトルが『こころの処方箋』です。
その著者の「河合隼雄」って名前に何か見覚えがあって。しばらくは思い出せなかったんですが、ある日また本屋さんに行ったとき、岩波新書の『コンプレックス』という本を見かけ。高校生のとき図書室で読んだなぁと思って著者をみたら、河合隼雄さんでした。勝手に納得。
高校生のときは、そういう感じの本をてきとうにいろいろ読んでましたからね。もうどんな本読んだかもよく覚えてないけども。自分探しのためだけですからね。楽しむためのものじゃなかったので、たぶん記憶が薄いのかも。それでもこの『コンプレックス』という本のことは覚えていました。
ちなみに、ここ20年くらい引越しをかなり繰り返したのでその都度本をたくさん捨てているんですが、『こころの処方箋』と『コンプレックス』は今も手元に残っています。

当時、「人の心などわかるはずがない」という言葉にすごくほっとしたのを覚えています。
人の心も自分の心もすぐにわかるなんてことはない、長く付き合っていくしかないんだ、それでいいんだと思えたんだと思います。もちろん自分を識りたいと思う気持ちは未だにあります。でも河合隼雄さんとの出会い以後、焦る気持ちはなくなりました。死ぬ寸前くらいにわかったらいいかなというくらいになりました(気長すぎ?。
『こころの処方箋』は、すごく平易な言葉で文章の量もそんなに多くないのですごく読みやすいのもよかったんだと思います。これ以後、河合隼雄さんの本を本屋さんで見かけてはいろいろ買いましたが、心理学の専門的な本はあんまし理解出来なかったもの(爆。
みきらすさんの物事の考え方の方向性を作ってくれたのは、たぶん河合隼雄さんだと思います。意識的な部分でも無意識の部分でもかなり影響を受けていると思います。
でも、一時期ちょっとだけ反発心?みたいなものも起こりました。そして今は最初とは違う距離でまた読めるようになりました。今、『こころの処方箋』をぱらぱらと読み返すと「のぼせが終わるところに関係がはじまる」という項目があり、また納得してしまいました(苦笑。
他にもいろいろ要因はあると思うけど、河合隼雄さんのおかげもあって、私の心はかなり平穏になったと思います。生きてたら、落ち込むようなことも起こるし、悲しいこともあったりするけど、基本的には明るく楽しく生活できていると思います。
10代後半の頃から20代前半にかけて、私の心に付きまとっていた「さみしい」って感情が、この頃以降は無くなったんですよね。今も「さみしい」って感情におそわれることはほとんどありません。…ゼロとは言わないよ?(笑。
日記では、わりと暗いことを書きがちなので、陰気にうつうつ暮らしているように思えるかもしれませんけどね。毎日テレビとかみて大笑いして生きてます。


2016年02月08日(月)

『ファイナルファンタジーXIV: 蒼天のイシュガルド』の話
バヌバヌ族。

拡張パック『ファイナルファンタジーXIV: 蒼天のイシュガルド』が導入されてから、一度もFFXIVの日記書いてなかったみきらすです、こんにちわ。
この8ヶ月間、ほぼ毎日ログインしておりました。インスタンスダンジョンはほぼ行かないし、レイドは行ったことがない(たぶん今後も行かないだろうな)という、プレイスタイル?ではありますが、ぼちぼち楽しんでおります。

マナカッターで空飛んでます。 空島で釣り中。

ギャザラー・クラフターに関しては、レベルはすべてカンストして60になってますが、AF2の装備はまったく貰えておりません。
先週くらいからやっと赤貨集め始めたばかりなので。伝承禄に苦労したんですよね。青貨集めが面倒くさくて。クラフターの方が時間制限ない分楽かなぁ。ギャザラーは青も赤も未知の採集場が関係してくるからそれが面倒くささに繋がってる感じ。
貰えるレシピを一通り貰えたのがこの期間の収穫。服も家具もいろいろ作れるという幸せ。それを邪魔するのがマイスター制度。廃止してくれないかなぁ。邪魔なだけだよ…。

レシピが貰えたおかげで、ハウジングの家具作りが良い感じになりました。
相変わらず、小物関係が充実してないけど(テーブルの上にちょっとおけるものとかね。例えば1冊だけの本とか酒瓶とか。)、家具の種類はそれなりに増えてきました。んー、トイレ希望? あと、カーペットが染色できるようになると嬉しいかな。
飛空艇の作成も開始しました。現在4隻設置中。雲海発見は21と22がまだ。飛空艇作りは、オデッセイ級とタタノラ級がまだ。レシピ的には作成可能。まぁぼちぼちね。

アニマウェポンは、白魔道士の『マジェスタス』の作成完了しました。
防具の方も禁書装備が揃ったので、白魔道士のILの平均は209になってます。でもそれでどこに行くの?というね。げふんげふん。
戦闘はね、やっぱり苦手なのです。それに正直なところ、FF14の戦闘は楽しくない&気持ちよくない。特に気持ちよさがないのは致命的。決められた手順を繰り返すだけというかね。それにミスしないようにということばかりを気にしながらの戦闘は楽しくないわ。
空島、ハクスラって言ってたから期待してたのに、いろいろガチガチ?で楽しくない。最初の頃は戦闘しに行ってたけど、最近は禁書目当てでハウジングの飛空艇から空島に行って、達成だけさせて脱出してる。戦闘はしていない。1回10~15分で終わる感じ。
FF14の長所はとにかくグラフィックが綺麗なところ。この1点のみかなぁ。どこの景色もすごくきれい。服も作りはすごくきれいだけど、種類が少ないのとデザインがいまいちなのは何とかして欲しいかな。要望多いな。
ミニオン集めは楽しい。現在109種類持ってます。…ダンジョンドロップの分を持ってない感じ。マーケットで買うのもありかなと思うけど、お金あんましない(爆。
まぁ、グラフィックがきれいというのはすごい長所だから、これからもきれいなままでいてください。雰囲気は楽しめるので。結論。FF14は雰囲気ゲーだった(暴論。

文句ばっかり書いたような気もするけど、これでもそれなりに楽しんでいるんですよ?
2/23には3.2のパッチが来るし、それも楽しみにしてます。レシピ増えるらしいのがいちばんの楽しみ。…マイスターじゃなきゃ作れないものが多数じゃないことを祈ります。
あとは、メインクエストの続きとグナース族の蛮族クエストもがんばります。ダンジョン? なにそれおいしいの?

ハウジング・その1。『マジェスタス』装備して、地下の部屋にて。
ハウジング・その2。外観。バレンタイン仕様。

『Morrighan Lefay』 のメモ。
≪クラス (ジョブ)≫
【Fighter】 剣術士 Lv.22、格闘士 Lv.27、斧術士 Lv.21、槍術士(竜騎士)Lv.60、弓術士(吟遊詩人)Lv.60、双術士(忍者)Lv.45。
【Sorcerer】 幻術士(白魔道士)Lv.60、呪術士(黒魔道士)Lv.60、巴術士(召喚士、学者)Lv.60。
【Extrajob】 暗黒騎士 Lv.30、機工士 Lv.60、占星術師 Lv.60。
【Crafter】 木工師 Lv.60、鍛冶師 Lv.60、甲冑師 Lv.60、彫金師 Lv.60、革細工師 Lv.60、裁縫師 Lv.60、錬金術師 Lv.60、調理師 Lv.60。
【Gatherer】 採掘師 Lv.60、園芸師 Lv.60、漁師 Lv.60。


2016年02月02日(火)

いつの間にか年も明けてました。
ダブルの虹を見かけて。車の中から撮ったので水滴が写ってしまいました。スマホにて2016/01/18撮影。
[ ダブルの虹を見かけて。車中から撮ったのでフロントガラスについていた水滴も写ってしまいました。スマホにて2016/01/18撮影。]

半年以上、ほったらかしにしていたみきらすのへやです、こんにちわ。
はっと気づけば、もう2016年です。前回日記から約8ヶ月間、とりあえず元気にしております。オンラインゲームの方は相変わらず、FFXIVやってます。

しばらく日記を書かなかったのは、『みきらすのへや』のリニューアル準備始めてたってのがあって。
ただし、現在は放置中。今の見ためになってから、8年以上経ってるからいい加減変えたいと思って始めたんだけれども。
ちなみに、HTML5.0とCSS3.0を使って作り直す予定。ひな形みたいなものはある程度できてます。中身はまだまだ。…しかし、作成途中を娘に見てもらったら、「今までの方がいいんじゃない?」と言われがっくり。「いや、(今までのものを)見慣れてるせいだよ。」と慰めて?はくれましたが、モチベがタダ下がり。
次はシンプルな見た目にしようと思ってたんだけど、シンプルな見ためってのは(特に)センスがモノをいうと思う。…はい、センスはないです。あと、シンプルな見ためだと自分自身物足りなくなっちゃうのも事実。だけど、見ために凝ると絵を描くのに時間かかるのよね。とりあえず、どんな見ためにするかは保留かな。
…『みきらすのへや』の作り直しは、2016年中の目標にします。ぼちぼちがんばるもん。

あと、日記を書かなかったのは、この8ヶ月間みきらすさんにとってストレスの高い期間だったというのもあるかな。
自分の問題と向き合い。娘の問題と向き合い。正直、娘の問題より自分の問題と向き合うことの方が楽かもしんない。「人は変えられない。変えられるのは自分だけ。」 …それを今すごく実感してます。自分を変えるのも大変ですけどね。年をとるとなかなか変えられないのです(言い訳。

「みきらすのへや」を始めてから15年ちょっと。
自分がなんでこんなに日記を書き続けているのかを今までもたまに考えたりしてました。
そのときどきでいろんな答えが出たりするんですが、最近ね、自分がなぜ文章を書くのかの答えが漠然とわかった気がするのです。
ちなみに、過去の日記の中にもなぜ日記を書くのかに言及したことはあると思いますが、基本読み返さない(読み返すには量が多すぎるわ。)ので、いつ、どんなことを書いたのかはすっかり忘れてます。
私は、中学生の頃から毎日ではないですが日記を書いたりしてました。もろちん当時はPCなんてなかった(爆)ので、紙の日記ですが。今思うと、あれは日記ではありませんでした。何があったかなどより、自分がどう思うかといったような内容ばかりだったので。自分の考えを整理するためのツールだったんだと思います。逆にいうと、文章化しないと頭の中の整理ができないんですね。

「みきらすのへや」を書く理由。
まずは、中学のときから書いていた日記の延長。そもそも自分の思ってることを文章化するのが好きなので。そのわりには上手くないですが。げふんげふん。
ほかには、文章を書くよいきっかけになる、書くたびにアップすることで小さな達成感を得ることができる…という感じですかね。
人に読まれることを前提にした文章だと、ローカルの日記に比べるとある意味気合い入って、ちゃんと文章を推敲して書けるのが良いところですね。欠点は、本音中の本音を書きづらいことかな。「みきらす」という名前で始めてしまったせいで、なにげにリアルと繋がってしまうので。
「文章化を日常にすることで、自然にそのとき考えていることを整理できる。」「小さな達成感を得ることができる。」このふたつが、自分にとって大きな意味があったんだと思います。
おかげで、日記を書いてなかったこの8ヶ月間は、頭の中がごちゃごちゃしてました。というか、頭の中がごちゃごちゃしすぎて、書くという行為が難しかったのかなとも。ストレスが高すぎて普段より自分の心の防御壁が薄くなってたのは自覚してたしね。この期間に日記書いてたら、ぽろっと本音中の本音を書いてしまってた気がします。そしてあとですごーく後悔する自分がみえるよ。
反面、本音中の本音を書きたい気もしてます。その場合は、別ハンドルで書くしかないだろうな。

現時点もストレスの高い状態だとは思います。
この8ヶ月間、いろいろと精神的にしんどかったわけですがオンラインゲームは続けてました。ある意味私の癒しになってました。現実から逃げてただけかもしれないけど、ストレス解消をするためにプレイしてたんだと思うことにしておきます(言い訳、その2。
日記については、今後できる範囲でぼちぼち書いていこうかなと思ってたりします。…今も読んでくれてる人がいるかどうかは謎だけど。

珍しく雪が積もっていたので、撮影してみました。スマホにて2016/01/25撮影。
[ 珍しく雪が積もっていたので、撮影してみました。スマホにて2016/01/25撮影。]
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